「すごかったねえ!」
「うん、すごかった!」
ここ数日こればかりだ。
読書の邪魔にならないようにヘアバンドで前髪を止めたレイチェルは、追っていた文字から顔を上げずにため息をつく。
「もっと戦闘に参加したかった!」
レイチェルのルームメイト、赤毛の髪をお下げにしたリタが一転悔しそうに言う。ポツポツとそばかすの浮いた白い頬が紅潮している。
「門から顔を出した時に、一発は入れたのよ!」
ライトグリーンの腰紐からステッキを抜いてブンブン振り回す。
「あの時の攻撃魔法は全部吸収されちゃったじゃん」
レイチェルの言葉は全く聞こえていないようだ。
「体の一部だけでも、欲しかったなあ」
とまた別の角度から悔しそうなのが、黒い髪の下から太い黒眉を覗かせているアビゲイルだ。たれ気味の丸い目をキラキラさせている。
「あれだけたくさん背中に棘が生えてるんだから、一本くらいとっても減りはしないでしょうに」
とおっとりとした見た目と対照的な過激な発言をする。
「一本とったら一本減るに決まってるでしょ」
呆れた言葉を漏らすレイチェル。しかしアビゲイルには聞こえていない。「鱗を採取できれば、あのエネルギー吸収の謎が解けるかも。もしそうなら、ものすごい素材になったはずなのに」と自分の世界にしっかり浸って独り言をつぶやいている。
「また、あそこ行きたいね」
「うん!」
あそこ、とは新月の塔の下にある地下迷宮のことだ。数日前に実習授業でそこに潜ったのだ。モンスターを倒して、宝物を集めるのが授業の課題だった。
レイチェルはあまり好きなタイプの授業ではなかった。魔法歴史学の授業で史料批判を学んでいる時の方が楽しかった。
しかしルームメイトのリタとアビゲイルは大興奮だった。リタは道を逸れてでもモンスターを倒そうとし、アビゲイルは逃げていくモンスターが落としていった体の一部を、金や銀で出来た宝物よりも大切そうに拾い集めていった。
この時点でレイチェルはついていけないものを感じていたのだが、後から考えるとそこで終わってくれればどれだけ良かったことか。でも結局はあのドラゴン騒ぎが全てを塗り替えてしまった。
ルーナノヴァの地下に封印されていた赤い龍が蘇ったのだ。
最初はまたアッコたちが何かとんでも無いことを起こしたのだと思った。
でも事実は小説より奇なり、真相は全くの逆。なんとダイアナたちの失敗だったのだ。
先生たちも、そんなものが地下に封印されているなんて知らなかったと言う。ダイアナがあまりに優秀だったので、これまで誰も辿り着いたことのない最深部まで潜ってしまい、結果的に大事件を起こしてしまったのだ。
ダイアナはあれから、「ダイアナがそんなことをする必要はありませんわ!」「ええ! あれは私たちの失敗よ!」と止めるハンナとバーバラと一緒に、自主的に罰当番の掃除洗濯係をしている。
そして事件を解決したのはなんとアッコだった。危うく魔力を吸収する龍に魔導石を奪われそうになったが、アーシュラ先生やロッテとスーシィと協力して再び龍を封印したのだ。そのことを知ったのは、ボロボロになったダイアナの命令に従って避難している最中だった。
リタとアビゲイルはそれから悔しがり続けている。自分たちが戦闘に参加すれば、もっと早く事態を収集できたはずだ、と。
アッコはなんだかんだ言って、ミサイル事件も解決した子だ。変な子だけど、すごい子だ。そこにリタとアビゲイルが入っても、何ができるんだろう、と思う。
でも二人は興奮しっぱなしで、聞く耳を持たない。
「戦闘! 戦闘! 戦闘」
「モンスター! モンスター! モンスター!」
あの日からずっとこんな調子だ。
レイチェルはため息をつく。
「明日こそ決行するよ!」
「うん! 準備は万端!」
二人は最近、新月の塔の地下迷宮に忍び込んで、勝手にモンスター狩りをする計画を立てている。しかも、なぜかなんの承諾もなしに、レイチェルを行くことになっているようなのだ。
(止めなくては)
レイチェルは、迷いを捨てた。どうしようか悩んでいたが、もう後戻りはできない。
やるしかないのだ。
レイチェルは引き出しの中からあるものを取り出して、握りしめた。
あれ、ここはどこだろ?
リタアビゲイル は目を開く。そこは暗く、ジメジメしている。
体が重い。まるで熱を出して寝ているみたいだ。
レイチェルとアビゲイルリタ は?一緒の部屋に寝たはずだ。
呼ぼうとする。するとグルルと言う奇妙なうなり声が耳のすぐ近くからする。びっくりして黙る。
自分の声だと気づくのに時間がかかった。
なんか変だ。なんか変だぞ、と思っていると、尻の下で何かがニョロニョロと動く。体の下に蛇と思って飛び上がり、両手両足で着地する。
さっきまで寝ていた石の地面を見ても、何もいない。
それは自分の尻尾だった。
尻尾?
驚いている暇はない。遠くから足音。カツカツというブーツの音。走ってくる。
「いた! モンスター!」
それは魔女服に身を包んだアビゲイルリタ だった。丸い目をギラギラ輝かしながらお下げをぴょこぴょこ揺らしながら 、猛烈な勢いで走ってくる
(アビゲイルリタ !)
リタアビゲイル は叫んだ。しかし喉から出たのは、コントラバスの弦を乱暴にこすったような歪んだ叫び声だった。
「くらえ!」
アビゲイルリタ は腰からステッキを抜き、こちらに向かって容赦無く攻撃魔法を放ってくる。
リタアビゲイル は本能的に地下迷宮に奥に向かって逃げ始める。しかし慣れない四足歩行ではスピードが出ない。
「逃すかぁ!」
振り返ると、アビゲイルリタ が満面の笑みで追いかけてくる。
「新しいモンスターをゲットやっぱ戦闘楽しいサイコー !」
その笑顔にリタアビゲイル は恐怖する。
(アビゲイルリタ !私だよ!リタアビゲイル だよ!わからないの!)
しかし、その声はモンスターの悲痛な悲鳴にしかならない。
「もらったトドメだ !」
攻撃魔法の光が視界を覆う。最後の悲鳴は、声にもならなかった。
「はあ」
その二日前、レイチェルは学校の中庭のベンチで一人ため息をついていた。
ルームメイトの暴走を止めなくてはいけない。しかし、その方法が全く思いつかないのだ。
「はあ」
ため息をもう一つ。
いつからそこにいたのだろうか。影が次第に長く伸びていた。
その影がいきなり話しかけてきた。
「何かお悩みのようだね」
そしてその影がいきなり起き上がる。
「スーシィ!」
レイチェルは驚いてベンチから立ち上がった。
「やめてよ! いきなり驚かすのは!」
「なに、魔女がこれくらいで驚いててどうするのさ」
確かに言われればその通りである。いかにも魔女という登場の仕方だ。
レイチェルの後ろでギュィッギュィッギュィーという機械音がする。振り返ると、さっきまで座っていたベンチが変形し、コックピットが開いて中からコンスタンツェが降りたかと思うと、さらに変形してコンスタンツェがいつも連れている小さなロボットになってしまった。
(どうやって中に?)
しかしそんな疑問は今はどうでもいい。
「一体なんの用?」
スーシィとコンスタンツェが組んで、怪しいものを売っているのは生徒たちの間では公然の秘密だ。
どういう情報網なのか、困っている生徒を見つけると自分たちからセールスに行き、「ココロのスキマ♡ お埋めします」などの甘い言葉で奇妙な物品を売りつけているという。
しかし彼女たちから何かを買った者はろくな目に合っていない、という噂もある。
「キヒヒ! 等価交換……人を呪わば穴二つだよ」
そんな二人が自分に何の用なのか。レイチェルは訝しむ。しかし、答えはもう最初から出ている。
「もしかして、なんとかしてくれるの?」
レイチェルは具体的な言及はせずに、慎重に訊く。魔女に言質を取られるのはまずい。彼女も魔女だから、それくらいはわかる。
「さあてね。とはいえ、There's more than one way to do it。」
スーシィもとぼけたことを言う。
そこへコンスタンツェが表情を一切変えずに一歩前へ出て、レイチェルに何かを渡した。
「ナイトキャップ?」
夜に寝るときにかむる帽子だ。しかし、中に何か変わった素材が入っているらしく、触るとガサガサしてあまり寝心地は良さそうではない。
「もし良かったら、それをかぶって寝てみな。それが合図さ。もし、使わなかったなら、お代はいらないから安心しなよ」
そう言うとスーシィはまた影の中へと消えていってしまった。コンスタンツェもいつの間にか消えていて、ただレイチェルとベンチだけが夕焼けの中長い影を引いて立ち尽くしていた。
レイチェルは部屋に戻る前に、思わずベンチをコンコン叩いて確認した。
「キヒヒ、成功したみたいだね」ここはコンスタンツェの地下工房。スーシィはコンスタンツェが大きな機械を操作しているのを覗き込んでいる。
その機械からは大きなパラボラアンテナがニョキッと飛び出て、地上の方を向いている。
「悪夢を見るキノコを食べたアッコから採取した脳波を魔力に乗せて飛ばすなんて、大したアイディアだよ。繰り返し繰り返しアッコに悪夢を見せた甲斐が合ったというもんだね」
アンテナの根元には小さな宝石たちが輝いていた。
「このダイヤモンドが悪夢を取り込み、こっちの真珠がそれを増幅し、何種類にも増殖させて送り出すってわけか。なるほどねえ。次はこっちのルビーも試してみようか」
コンスタンツェが機械の電源を落として、機械の操作台からチョコンと飛び降りた。スーシィがコンスタンツェに光る液体の入ったグラスを渡す。
「さあて、これから授業にもでなくちゃいけないからね。エナジードリンクで乾杯と行こうじゃないか」
コンスタンツェは無表情でそれを受け取り、スーシィのグラスとカチンと軽く打ち合わせる。
そして二人でグイッと祝杯を干そうとした時、
「何か怪しいことをしていると思って来てみれば」
ダイアナの声が広い工房に響く。
「あらら、見つかっちゃったみたいだね」
スーシィは驚きもせずに、エナジードリンクをすする。
「明らかな校則違反ですからね」
とコンスタンツェの機械を一瞥しながら言うダイアナ。
コンスタンツェは不安そうにスーシィを見上げる。スーシィは安心させるようにコンスタンツェを見下ろして言った。
「仕方ないね。次からはやり方を変えなくちゃいけないってわけだね」
コンスタンツェの表情が、わかる人にしかわからない程度に明るくなる。
「懲りない人たちですね、あなたたちも」
ダイアナは呆れたように言った。しかし彼女の表情も、どこか笑っているようでもあった。実際、彼女たちを告発することよりも、コンスタンツェの機械を見に来ることの方が目的であることは、その興味津々な様子から明らかだった。
「ところでダイアナ、大丈夫だったかい? ここへ来る途中、頭痛とか起きなかった?」
コンスタンツェが機械を片付けるのと手伝いながらスーシィが訊いた。コンスタンツェもそれが気になるようで手を止めて、ダイアナを見た。
「それでしたら対策は万全ですわ」
ダイアナは自慢げに魔女帽子をとって見せた。
その裏地はアルミホイルで完全に覆われて、銀色に輝いていた。
「「キャアア!!」」
その朝、アビゲイルとリタは同時に飛び起きた。同時に悲鳴をあげながら。
レイチェルは急いで頭に被っていた帽子をシーツの下に隠した。
それから三人で身支度をする間、二人ともどこか変だった。自分の手足をじっと見つめたり、「あ、あ」と自分の声を確かめたり。
レイチェルはそんな二人をじっと見つめていた。
これから授業に行くぞ、というとき、レイチェルは意を決して聞いた。
「今夜、新月の塔、行く?」
「「行かない!!」」
アビゲイルとリタがすごい勢いで首を振るのをみたとき、レイチェルの心に安心と不安が同時に起こった。
計画が中止したことの安心と、一体何を請求されるのか、という不安が。